【紬の着物|山形・米沢織-新田】紅花染めの美と革新 米沢・新田が紡ぐ140年のものづくり
2025.10.10
思わず息をのんでしまうほどに鮮やかで美しい赤。紅花染めにしか出せない、艶やかで深みのある色合いだ。かつて京都では紅花染めが行われていたが、いつしかその伝承は途絶えてしまった。それを昭和の時代に復活させたのが研究者の鈴木孝男だ。鈴木孝男による紅花染め復活のあと、鈴木の指導のもと、米沢の機屋数社が紅花染めを米沢織に取り入れ、そのうちの一社が株式会社新田だ。今も工房では紅花の花が咲き、染色の香りが空間を満たしている。紅花をはじめとする多彩な染料を使った染織を数多く手掛ける新田のものづくりは、米沢の地に根を張っている。
Contents
袴の新田―― 140年を超えるモノづくりのルーツ


米沢市街に、歴史を感じさせる工房がある。6月から7月、畑には彩り鮮やかな紅花が咲き誇る。途絶えてしまった紅花染めの伝統を、米沢で受け継ぐ株式会社新田ならではの風景だ。
出迎えてくれたのは、常務取締役 新田克比古さん。

「新田家はもともと下級武士でした。米沢は武士の婦女子が機織りするという伝統が上杉鷹山公の時代から始まりました。時代が大きく動いた明治のころ、新田留次郎が機織りで身を立てることを決心しました。留次郎が初代となり明治17(1884)年に創業し、140年を超えたところです。創業当初は男物を中心に、特に留次郎は絹織りの袴地が大変に得意で、独自の風合いに定評がありました。

続く2代目で私の祖父にあたる熊雄は、伝統の中に新たな意匠を積極的に取り入れるなど新製品の開発に余念がなく、『袴の新田』と呼ばれるほどに高く評価されていました。今の新田は女物を中心に展開していますが、創業当時からの伝統もあり、袴を始めとした男物も製造を続けています。」


新田に転機が訪れたのは、3代目の秀次とその妻・富子の時代だった。昭和39(1963)年、紅花との出合いが新田を新たな道へと導いていく。
紅花染との出合い―― 反対を押し切って進めた三代目の挑戦
「当時の機屋は、完全に分業制となっていました。糸を染めるのは染屋さん、糸に撚り(より)をかけるのは撚糸屋さんといった具合です。米沢ではかつて紅花を栽培していましたが、加工した紅餅は紅猪口や赤を染める染料として京都で使用されていました。しかし、19世紀半ばに化学染料が開発され、明治時代に入ると盛んに輸入され、京都の紅染屋も化学染料に移行していきました。紅花栽培もすたれ、明治20年には紅花染めは途絶えてしまいました。」


「姉が通う中学校の理科教師だった鈴木孝男先生が紅花の研究に取り組んでいました。蔵から見つかった紅花の種を手がかりに、米沢で紅花染めの伝統を復活させたいと尽力されました。姉の家庭訪問の際、普通だったら成績や生活態度の話をするんでしょうが、鈴木先生は『私は紅花染めをやるから、機屋の新田さんには織を提供してほしい』とおっしゃられたそうです。両親もさぞ驚いたことでしょうね。

しかし、まだ現役だった2代目の熊雄は猛反対。『機屋は機屋。違うものに手を出して会社が傾くようなことがあってはならない』と。当時としては極めてまっとうな反応だったのでしょう。しかし、鈴木先生はあきらめなかった。山形の紅花を使って美しい米沢織として世に出したいという熱い思いを持っておられたのです。祖父母が寝静まった夜に両親も紅花について調べて勉強するうちに紅花の色の美しさ、そして歴史と文化に魅了され、決心を固めました。


夜遅くに鈴木先生が訪ねてきて、どんな織物にするか相談していたようです。両親は試行錯誤しながら紅花の色を追求する日々。
後に紅花と家敷に植えられていた梅の木や栗のいが、クルミの果皮なども利用して重ね染めを行い、さまざまな色を創り出して、ついに紅花紬を完成させました。」


お客様に最高の品質を届けたい―― 染色から織まで新しいモノづくり
「父も自分たちの努力がどのように評価されるのかを知りたかったようです。伝統工芸展に出品したところ、見事入選。新聞などでも紹介され、紅花紬は少しずつ知られるようになりました。
紅花の赤い色は古くから珍重されてきた染料で、神事や皇室の行事に欠かせないものです。途絶えていた伝統が米沢でよみがえったことに関心を寄せてくださったのが、当時の美智子妃殿下でした。昭和47年、山形県高校総体開会式の際に、当時の皇太子殿下と美智子妃殿下が工房を行啓してくださいました。」


「紬と言えば普段着で着まわすものでしたから、シックなトーンの色味が主流でしたが、紅花染めの上品な色調は、今までにない色合いで評判を呼びました。両親は自然の情景を心に描き、紅花紬に表現しました。」


かつては分業されていた業界だが、4代目の英行・克比古の時代になると染から織までを一貫して行う体制を築き上げた。克比古さんは幼少期に両親が紅花染に取り組む姿を見て育ち、染色を学ぶ道に進んだ。紅花染をはじめとする天然染料、合成染料を使用した糸染め(先染)や、刷毛染、板締め、ろうけつ染などの後染めの技法を駆使して多くのモノづくりを行っている。後染と先染ができる染め場を作り、天然染料と合成染料を巧みに使い、米沢にはこれまでなかった後染を取り入れ、新たな商品、何よりも美しい日本の伝統色を追求し続けている。染色工房を見学させてもらうと、ちょうど摘み終えた紅花を発酵され、染料の元となる“紅餅”が作られている最中だった。朝露が残る紅花を一つ一つ手摘みし、冷水で洗う。水を絞って素足で踏み、むしろの上に広げて発酵させること2日間。良質な紅を作る大切な工程だ。発酵中の紅花は自然が生み出す深みのある赤色を、すでに備えている。


「三代目が創り出した色を、私たちは今も大切にしています。また出来上がった反物を眺めながら、次はこの色にしよう、この模様を試してみたいと、社員それぞれが自由に声を上げられる社風です。デザインや企画を担う社員もいて、ベースとなるモノづくりの品質とこだわりの上に、新しいアイデアを加えることで、伝統に縛られないモノづくりを試行しています。同じ色を使っていても、織り方を変えるだけで全く違う表情を見せるものもあります。社員みんなが興味を持ち、挑み続けています。新田はお客様に喜んでいただける製品づくりを社員一同ワンチームで取り組んでいます。」

成せば成るの精神で米沢から発信――先人への感謝の念を忘れずに仕事に打ち込む新田
時代の変化とともに、織物の役割も、求められる価値も変わる。新田は伝統の中にとどまるのではなく、それを礎にしながら挑み続けている。
新田が作り上げる製品は染料に由来する独特の繊細で深みのある色合いが特長だ。しなやかで張りのある布に、確かな技術で文様表現を描く。新田の表現は、着る人に安らぎや喜びをもたらす。


近年では、テキスタイル開発や海外への発信に向けて、少しずつ種をまき始めたという。
米沢の風土と美意識を背景に、しっかりと地に足をつけた、「新田の染織」と言えるものづくりを目指している。
