【小紋|京都・高田勝】伝統をほどき、未来を染める小紋の再発見

2026.04.23

振袖や訪問着のように格式や着用するシーンに応じた着物と違い、小紋は装い方ひとつで日常にも、フォーマルにも寄り添う懐の深い着物です。近年では、伝統的な技法を守りながらも、現代の感性と生活に寄り添う小紋が注目を集めています。着物でありながら、ファッショナブルでもあり、“自分らしい一枚”を楽しめる存在へと進化し続けているのです。

京都で三代にわたり小紋をつくり続ける「小紋屋 高田勝」。小紋という着物が持つ本来の魅力、そして時代とともに変化しながら歩み続ける可能性について紐解いていきます。

小紋から始まり、小紋で歩む家業

京都の四条界隈。古い町並みに溶け込むように「小紋屋高田勝」がある。多種多彩な反物が並ぶ部屋で、現当主の三代目・髙田啓史氏が出迎えてくれた。意外にも本日はスーツ姿。それにも理由があるという。まずはご自身の家業を継ぐ「小紋屋高田勝」の原点を語っていただいた。

京都四条の呉服問屋が並ぶところにある高田勝株式会社
京都四条の呉服問屋が並ぶところにある高田勝株式会社
京都四条の呉服問屋が並ぶところにある高田勝株式会社

創業と原点―小紋づくりは、羽織用が多かった

「創業は昭和10年(1935年)。私の祖父にあたる高田勝雄の名である“勝”の字を取り、『高田勝』という名前で私たちの小紋づくりは始まりました。現在、“小紋”と聞くと、多くの方が着尺、つまり着物として仕立てる反物を思い浮かべるかもしれません。しかし、創業当初は着物用よりも、羽織用の小紋が主流でした。いわゆる“羽尺”です。普段は織物の着物を着て、外出時に染めの羽織を重ねる装いがごく自然だった時代でした。昭和33年に会社組織になった後も、着物より羽織用の小紋の割合が多かったと聞いています」

小紋は着尺より羽尺が主流で、羽織に仕立てることが多かった
小紋は着尺より羽尺が主流で、羽織に仕立てることが多かった

「時代が進み、着物の主流は着尺に。今でも、着尺として作った小紋の生地を羽織に仕立てる方は少なくありません。体感としては、今も半分近くの方が羽織として仕立てています」

三代目として原風景「小紋」に軸足を置く選択

生まれたときから着物がある日常で、家業を継ぐものとして小紋を選び、今日まで続けてきた髙田さんの人生にはどのような歩みと葛藤があったのだろうか。

「私がこの商いの三代目になったといっても、実のところ、継ぐと決めた瞬間は思い出せません。物心つく前から、表が店、裏が住まい、渡り廊下で行き来する家で育ちました。染めの匂い、反物に手触り、得意先の声。仕事場は遊び場で、商いは生活の一部。気がつけば、ここに立っていた。そんな感覚です。京都には、同じ感覚で育った同世代が少なくありません。商いと生活が一体になった環境で、自然と育ってきた世代だと思います」

小紋について語る高田勝・三代目 髙田啓史氏

「祖父の世代は“着物が日常”で、むしろ洋服を着ること、スーツに憧れた時代。私の世代になると、その感覚は逆転し、洋服が日常で“着物が特別”になりました。さらに息子の世代は生活と仕事の空間が離れている。暮らしが変われば、着物の役割も変わる。小紋は、決して一つの形にとどまるものではありません。そうした変化を間近で見続けてきたことが、私のものづくりの考え方としての芯になっています」

呉服業界は2兆円規模へ膨らんだ昭和40年代を経て、縮小期へ。そんな業界の中でも、髙田さんは“続くものを磨く”道を選んだ。

「父の代で訪問着や振袖にも挑戦しましたが、結局は祖父の原点である日本の伝統的な染色技法である型染めの小紋に立ち返りました。理由はシンプルです。小紋は量産が可能で、広い層に届けられる技法。新しいことよりも、続けられるもの。特別な決意や、大きな葛藤があったわけではありません。世代ごとに着物との距離感や価値観が変わる中で、“どこに軸足を置くのか”と考えたとき、祖父の代から続く『小紋に立ち戻る』という選択は、とても現実的で、ごく自然なものでした」

業界とともに変わる―部品屋からメーカーへ

京都呉服業界について語る高田勝・三代目 髙田啓史氏

かつて同業は仲間であり、ライバルでもあった。本音と建前が混在する空気の中で、時代とともに伝統産業はどのように変化していったのだろうか。

「京都で長く商いを続けていると、人と人、そして業界との距離が、少しずつ変わっていくのがよく見えてきます。この30年で大きく変わりました。業界団体の活動や催事を重ねる中で、本音で話ができる仲間が少しずつ増えてきたんです。この変化は、ものづくりの姿勢そのものを変えました。

以前の私たちは、自分たちを “部品屋”だと捉えていたように思います。白生地に模様を染め、反物として世に出す。その反物が、どう裁たれ、どんな帯を合わされ、どんな場面で袖を通されるのかまでは踏み込んでなかった。
しかし、今は違います。反物はそれだけでは着られません。業界の距離が縮まり、人と人がつながったからこそ、“着られ方まで想像したものづくり”が出来るようになった。誰が、どんな場面で袖を通すのか。その意識こそが、私たちを“部品屋”から“メーカー”へと変えていった、大きな転換点だったのだと思います」

小紋文様の出会い

北斎と山東京伝が教えてくれたこと―二つの文様軸

小紋の文様は、江戸時代から数えきれないほど存在するとのこと。高田勝の文様は伝統的ながら、常にモダンでスタイリッシュな魅力がある。高田勝の“文様を見る目”が、どこに育まれたのか。

「小紋とは本来、細かな文様を彫った型紙で模様を繰り返し染める“技法” の名前です。現代では着物の種類として語られますが、もともとは “型染めを繰り返したもの”という技法の集合体を小紋と呼んでいました。

その“技法としての小紋”という私の世界観を、大きく広げてくれた存在が、江戸時代の浮世絵師である葛飾北斎。北斎が生涯で一冊だけ残した小紋図案帳『新形小紋帳』に出会ったんです。北斎自身の創作である104柄の文様を見て、文様を“個別の柄”ではなく、“思想ごとのグループ”で捉える視点が生まれました。

北斎の構成美が織りなす文様。幾何学的でモダンなデザイングループができる
北斎の構成美が織りなす文様。幾何学的でモダンなデザイングループができる

そして、北斎と同じ時代に、まったく違う光を放っていた人物がいます。江戸の人気作家・絵師、山東京伝です。NHK大河ドラマ『べらぼう』にも出ていましたね。京伝の文様は、北斎とは対照的。きっちりと構成された北斎の文様に対して、京伝の図案は遊び心にあふれ、思わず微笑んでしまうような“お遊び模様”。

山東京伝のお洒落なパイプの文様。思わず微笑んでしまうような“お遊び模様”
山東京伝のお洒落なパイプの文様。思わず微笑んでしまうような“お遊び模様”
山東京伝のお洒落なパイプの文様。思わず微笑んでしまうような“お遊び模様”

私たちは北斎と京伝、双方の資料を所蔵し、文様の復刻を行っています。復刻を続けるうちに、『北斎=構成美のグループ』『京伝=遊び心のグループ』という二つの軸が浮かび上がってきました。北斎、京伝と、同じ小紋のデザインのなかに、これほど性格が異なる二つの潮流があったとは驚きでした。その瞬間、小紋は“柄の集合”ではなく、“どんな世界観をまとうか選べる着物”へと認識が変わったのです」

反物を広げ、見せてくれた江戸時代の文様は、いま見ても心が動く魅力があり、新しい。
それこそが小紋の奥行きなのだと、聞いていて深く納得した。

技法は語り過ぎず―文様の着想と復刻の現場

技法の話は専門的になりがちだが、どのようにお客様に伝えているのか。また、文様は年間で10〜20柄生まれる年もあれば、“これだ”という文様に出会えない年もあるという。どのように着想しているのだろうか。

「小紋づくりでは、文様と技法の両方を大切にしています。ただ、着る人にとって技法は実感しにくい。だから私たちは、“着心地や使い勝手に直接つながる技法”だけを表に出します。例えば、裏まで染まる両面染めは、羽織ったときの軽さや見え方が変わるため、はっきりと効果が分かります。そうした技法だけを伝えるようにしています。

一方で、伝わりやすいのは文様の時代性です。大正から昭和初期にかけては、竹久夢二の世界観を思わせる大胆で装飾的な文様が増え、明治を辿れば錦絵に残る意匠の数々が見えてくる。時代が変わるたびに、文様の表情も自然と変わっていきます。

型染めは型紙を使う以上、一点だけ作ることはできません。だからこそ、作る前の“文様の着想”はとても重要です。私たちは、京都に残る図案帳や錦絵、古い文献といった資料から着想を得ます。そのまま復刻したり、現代の感覚で組み替えたりすることで、伝統的な線や形を現代の小紋につなげていく。その積み重ねこそが、私たちのやり方です」

高田勝の明治の小紋
高田勝の明治の小紋

技法を語りすぎず、文様の背景を丁寧に映し出していく。そのバランスが、小紋の“今”を生み出しているのだ。

小紋を日常に着てもらうということ

ルールより今の暮らしに合わせて/歴史を踏まえた提案

「着物のルール」という言葉は時々重たく響く。その“重さ”はどこから来ているのだろうか。

「着物の世界には、長い歴史の中で生まれた多くの“決まりごと”がありますが、そのルールは最初から絶対だったわけではありません。気候や生活様式が変わるたびに、少しずつ変化し、時間をかけて“常識”になっていったものです。

私自身も、以前は季節や模様には細かなルールがあるものだと信じていました。例えば、袷の時期は10月から5月までとよく言いますよね。実際に気温が高くても、その時期だからという理由だけで袷を着てしまいます。今の日本は、昔とは比べものにならないほど温暖で、室内環境も大きく変わっています。暑いのに袷を着る必要はありませんし、快適でない服装が“正しい着方”になるはずがない。

夏に合わせた薄い小紋も。現代の気温に合わせてお洒落も入れて
夏に合わせた薄い小紋も。現代の気温に合わせてお洒落も入れて

着物文化は、染め・織り・文様・色・歴史・暮らしとたくさんの要素が重なって成り立っています。だからこそ、『着物とはこうあるべき』という枠に縛るのではなく、一枚の衣服が、長い時間の中でどう変わってきたのかを知ったうえで、現代の気候や着心地といった現実もきちんと取り入れる。そのうえで、“いま着られる着方”を提案することこそ、作り手としての務めだと思っています。」

小紋の“格”とTPO―難しさを面白さに変える柄の大きさ

小紋には着物として幅広い装いがあるからこそ、いつ着ればいいか境界の難しさも感じる。

「小紋は“気軽な着物”というイメージが強いですが、それは実は最近の感覚です。もともと小紋には、紋を入れて礼装としても使われてきた長い歴史がありました。小紋は、昔から“カジュアルとフォーマル”の境界をゆるやかに行き来できる着物だったのです。

現代のファッションでは自分らしさをどう表現するかが大切にされますが、小紋も同じように、好みを軸にしながらTPOを考える着物です。ただし、ここに小紋ならではの難しさがあります。訪問着や色留袖のように、明確にフォーマルに位置づけられる着物でさえ、日常生活で着る人が増えています。小紋はその逆で、カジュアルからフォーマルまで横断できる。だからこそ、“どこまで小紋で行けるのか”迷いやすいんです。

高田勝の多種多様な小紋
高田勝の多種多様な小紋

装いにおける“線引き”の基準のひとつが 柄の大きさです。細かい柄ほど一見して模様が目立たなくなり、遠目には無地や江戸小紋のように“格”が上がります。逆に大柄であれば、印象が強く、カジュアルに寄ります。つまりは、多種多様な文様を持つ小紋は柄の大きさによってシーンの幅が変わる着物なのです。

自由度が高いからこそ、もっとも“着こなしの想像力”が問われる。それが、ジャンルとしての小紋の面白さではないでしょうか。」

そして今、作ってみたい小紋のこと

長く小紋に向き合ってきた高田さんでも“まだ手つかずの領域”という文様があるという。

「今後に挑戦したいのは細かい柄と大きな柄、そのどちらにも属さない中間のスケールの文様です。小紋は伝統的に、細かい柄が多く、現代では大胆な大柄も増えてきました。
けれど、その間には“まだ誰も開拓していない領域”があるはず。細かすぎず、大きすぎず、静かに近づくと個性が立ち上がるような“中間の小紋”をひとつのグループとして育てたい。

高田勝の多種多様な小紋
高田勝の多種多様な小紋

今はその可能性をずっと探しているところです。技法を語りすぎず、文様の背景を丁寧に読み解きながら、新しい小紋の未来を探す。その延長線上に、この“中間のスケール”があるように思っています。」

着物は“特別”でなく日常へ

着物と洋服と区別しない―お手入れを気楽に

今日の取材はスーツ姿の高田さん。「この場はそのほうが楽だから」、ただそれだけだという。着物も普段着、「洋服」「着物」と垣根は作らず、日常に合った装いとしての着物を楽しむポイントとして高田さんが強調したのが手入れの気楽さだ。

「着物は“特別な日の衣裳”ではなく、着たいときに着ればいいものだと思っています。結局のところ、和服も洋服も“慣れの問題”です。男性ならスーツを着るより着物のほうが早く着られることもあるし、女性でも日常的に着ている人なら5分もあれば着られます。そんなに面倒な服装ではないんです。

着物お手入れについて語る高田勝・三代目 髙田啓史氏

そしてもうひとつ、ぜひ伝えたいのが、着物のお手入れの気楽さです。“すぐ洗わないといけない” “シミ抜きに出さないと”と思う必要はありません。自分で手入れできるって知らない人が多いようです。私は自分の着物を丸洗いに出したことはほとんどなく、気になる部分だけシミを取ります。スーツも、着るたびにクリーニングには出しませんよね。着物を洋服とは全く異なるジャンルとして神経質に扱う必要はありません。着物の下に着る襦袢も、浴室でざぶざぶと洗っていいんです。くしゃっとなりますが、昔はこれが普通でした。

着物好きの方にはぜひ“きれいに着なければ”より“着ることを楽しむ”という気持ちを大事にしてほしい。袖を通して、歩いて、食べて、過ごして、その中で一緒に年を重ねていく。そんなふうに小紋を、日常の延長として存在する衣服として着ていただければと思っています。」

ドラマ『ばけばけ』が教えてくれた “合理的な着方”

高田勝は多くのドラマ作品やイベントでコラボをしている。そこで“着物の合理性”が浮かび上がる。

「私たちはNHK朝の連続小説『ばけばけ』(2025年度後半期)にも衣裳を出品をしていますが、よく話題になるのが、襦袢の襟の出し方です。主人公の小泉八雲の妻であるトキさんの着物姿を見て“随分出してるな”と感じる方も多いでしょう。明治から昭和初期までは、あれがとても自然な着方でした。襟を出すことで、着物が直接肌に触れず、汚れにくくなるから。これ以上ないほど合理的な着方です。」

昔は襟をしっかり出して、動きやすく着物が汚れない工夫をしていた
昔は襟をしっかり出して、動きやすく着物が汚れない工夫をしていた

今の“襟を詰める着方”はフォーマルが日常に入り込んだ結果で、むしろ昔の人は 襟が汚れないように工夫をして、自然と合理的な着こなしになったと高田さんは言う。

「着物の着こなしは、日々の暮らしの中で磨かれた知恵の集合体なのです。そのため形式に縛られず、自分が“楽”で、汚れにくく、美しく見える着方を作っていくことが、日常の中で、自然に続けていけるコツなんです。

着物は決して特別で難しいものではなく、日常の中で自然に着続けられるものだと思っています。」

ドラマや映画に着物提供や着物指導など協力をしている。写真はNHKドラマ『あきない世傳 金と銀』
ドラマや映画に着物提供や着物指導など協力をしている。写真はNHKドラマ『あきない世傳 金と銀』

着て楽しむのはもちろん、見て楽しい小紋!未来へ

小紋について語る高田勝・三代目 髙田啓史氏

「小紋というのは、もともと小さな模様から始まった着物です。その面白さは、誰かに見せるための派手さではなく、自分だけが楽しめる“密やかな喜び”にあると思います。
遊び心を忍ばせた柄、近づかないと分からない小さな意匠、そしてそれに合わせたトータルコーディネートを楽しむことが小紋の一番の魅力ではないでしょうか。

そして、小紋が普通の日の中にも自然に着られる存在になってほしい。そのために、模様としての楽しさと日常で無理なく着続けられる実用性の両方を備えた小紋を、ひとつの“生き物”として育てていきたいと思っています。

伝統とは、昔の形をそのままなぞることではありません。着物文化を分かりやすく紐解いて伝えることで、それを面白いと思う人たちを増やすことが大事だと思っています。その積み重ねこそが、未来につながる力になります」

高田勝には、まだ世に出していない文様のグループがたくさんある。時代を超えて受け継がれてきた線や形を、今の暮らしに合う文様として再び息づかせていく。
歴史と技法を背骨に、いまの生活に寄り添う軽やかさをまといながら、小紋はこれからも未来へと歩み続ける。