【織物工房|山形・米沢織-白根澤】創業255年、羽衣の記憶を織り継ぐ 白根澤が紡ぐ、時代を超える布
2025.09.25
山形県置賜地方の最南端に位置する、上杉氏米沢藩の城下町「米沢」。江戸時代中期、藩主の上杉鷹山公が絹織物を奨励し、米沢は一大産地として名をはせた。そんな鷹山公の時代に創業し、今のその伝統と技術を受け継ぐ工房が株式会社白根澤だ。約250年にわたる歴史を背負いながら、11代目社長白根澤義孝さんは伝統を根ざしつつも、さらに進化した現代的な機織りに挑戦し続ける。
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江戸の記憶が息づく、250年の織物台帳
米沢市街に250年の時を刻む織物工房がある。扉をくぐれば、江戸の糸の記憶が現代に息づいているようだ。出迎えてくれたのは白根澤義孝さん。上杉鷹山公の時代から続く老舗織物工房の11代目当主だ。

「もともと米沢では青苧という麻の一種を栽培し、自分たちで着るための織物を作っていました。江戸中期に米沢藩の赤字財政を立て直すために、上杉鷹山公が倹約の奨励などさまざまな対策に乗り出したのです。その一つが、武家の女性に青苧を使った機織りを習得させ、さらに養蚕による絹織物の生産を奨励する殖産興業を進めました。白根澤家はこの鷹山公の時代に機織り屋として創業し、今に至るまでその技を受け継いでいます。」

米沢の地で絹織物を作り続ける白根澤には、ほかの工房にはなかなか見られない貴重な財産があるという。そう語りながら見せてくれたのは、明治時代から生地のサンプルを記録し保存し続けている台帳だ。

「米沢の織物の歴史とともに歩んできた当家の軌跡が、この台帳に詰まっています。100年以上前の生地も残っているんですよ。時代ごとに引き継いでいく技法もあれば、すでに伝承が途絶えてしまった技法が用いられた織物もあるんです。生地を細かく分析して、何とか当時の織物を今によみがえらせることができないかと研究を続けています。」
復刻した古代織、絹への憧れと技の継承

白根澤さんは江戸・明治の技法を復刻して生み出す織物を「古代織」としてブランド化している。その中でも明治の復元織物である「絲織(いとおり)」は、よりをかけずに作られた“無撚糸”を使用した希少な織物だ。
「無撚糸は撚がかかっていないので、絹本来の柔らかさとふんわりとした質感、光沢をたたえた風合いになります。ただし、その分織るのが非常に難しい。うちでは極力撚をかけない糸を使って、昔の織に一番近い形で復活させることができました。


かつて米沢藩は財政赤字でしたから、質素倹約を旨として麻とか綿を着るように定められていました。そうなると庶民はみんな絹に憧れたんじゃないでしょうか。絹糸のつやつやした光沢を生かすために、糸を撚らずに丁寧に扱うことで、本当に大切な一張羅を作り上げていたのでしょうね。昔の生地を眺めているとそういう思いが伝わってきます。古代織は、色や柄も当時のものをなるべく再現するように心掛けていますが、昔の人の色感覚に気付かされ、驚かされることばかりです。もちろん化学染料を使わない100パーセント天然の草木染。だからこそ、色に深みがあります。
今は、当時の織り方をベースに、現代の感性に合った鮮やかな色合いも試している最中です。伝統を継承しつつ、新しいものにも積極的に取り組んでいますね。」


伝統×革新 チャレンジし続ける社風
米沢初のジャガート式織機の導入に挑戦
伝統的な織物を復元させた白根澤さんだが、そこに現代的な色や柄を合わせることにも迷いはなかった。古いものと新しいものを組み合わせて、自分たちにしか作れない織物を追求し続けている。そんなチャレンジ精神にあふれた社風も白根澤の伝統なのだという。

「明治時代、米沢でいち早くジャガード式と呼ばれる織機を導入したのも、うちが一番早かった。それまではすべて手織りでしたらから柄物は織れませんでしたが、織機を使うことで複雑な柄も織れるようになりました。うちはどの代も新しいことにチャレンジし続けてきた伝統があるんです。」

そういって見せてくれたのは現在の白根澤を象徴する、柄だけが浮かび上がる特殊な『もじり織』だ。
「これは父である先代が研究に研究を重ねて創り上げたものです。」
柄だけが浮かび上がる――もじり織の革新
「一般的な織物は平織と呼ばれ、経糸と緯糸を一本ずつ交互に上下させて組み合わせて織り上げる。もじり織は、経糸をねじりながら緯糸と交差させる織り方から布に隙間が生まれ、通気性の高い、透け感のある織物となる。夏物の着物などに用いられる伝統的な技法です。

先代はこのもじり織で『柄だけ透けるようにならないか』と考えたのです。一部分だけもじり織にするという発想は全国的にも例がなく、どうやって織るのか工夫を積み重ねながら何とか技術を編み出していきました。もじり織自体は古くからある技術でしたが、それをうまく活用して全く新しい見せ方をしたことが高く評価され、日本伝統工芸展で入選を果たし、当社の看板商品の一つとして花開きました。」
温故知新──“透絢”が未来へ織り継ぐもの
幻の布を求めて、今しかできない復元
今まさに、上杉鷹山公の時代の織物を復元しようと試行錯誤を繰り返し、ようやく形になってきたと白根澤社長は語る。

「透絢(すきあや)というのですが、当時の絹織物の中に、まるで羽衣のように透ける生地があったようなのです。もじり織による透かしとは異なり、生地全体がふわりと透ける。織り方はもちろん、染めや仕上げに至るまで、まったく手がかりのないような状態から研究をスタートしました。今はもうどこでも作られていない織物ですから、温故知新といいますか、古い呉服の中に驚くほど高度な技術が隠れていて、時に古いものが一番斬新なものになることが面白いところ。


当時の染めは友禅のような染めで、それは今の米沢織っぽくはないなと思いました。そこで、伝統的な米沢の染めを取り入れながら、ただ復元するだけでなく、“今、自分たちが復元することの意味”を考えながら作り上げました。その染めができる職人さんは米沢でもただ一人。その人が引退すれば、もう作れなくなってしまう。だからこそ“今しかできない”という思いで、必死に取り組んできました。」
着る人の思いやりを込めた織物へ

技術への熱いこだわりと並んで、もう一つ白根澤さんが大切にしているのが、やはり着る人への思いやりだ。
「ただ昔のものを復元するだけでは、どうしてもマニアックなものになってしまいます。もちろん、好きな人は興味を持ってもらえるんですが、やはり時代に合わせた色や質感も含めた“着やすさ”というのは大切だと常に考えています。

最近は特に年中暑い。いわゆる一重の夏物の着物は6月から9月に着るものとされています。もじり織や透絢にしても、着ていてまとわりつかないというか、さらりとした着心地です。袷の着物として5月から10月、あるいは4月や11月の不意に暑くなった日にも快適に着ていただける生地になっています。着心地は糸の品質に大きく左右されます。だからこそ使用する糸の品質については妥協せず、着る人が心地よく過ごせるように、最高のものを追求していきたいですね。」
米沢の伝統をさらに深堀り、植物繊維との新たな融合


「米沢織の原点は、家で育てた青苧を使った麻の織物だったと考えています。今後は絹織物にこだわらず、麻や綿など、かつて米沢でも盛んに使われていた植物繊維を取り入れた生地を作っていきたいと思っています。麻の風合いを活かしつつ、絹も組み合わせることで、しわになりにくく扱いやすい着物など、いろいろと構想を練っています。

現在、うちは30種を超える織物を製作していますが、それはお客様にさまざまなシーンで着物を楽しんでいただきたいから。うちだからこそできる伝統的な技法を復刻しながら、時代やニーズに合わせた織物を作っていくことで、着物を着たことがない若い世代にも喜んでもらえるようなものづくりに挑戦し続けたいと考えています。」

250年の伝統を未来へ──白根澤のこれから
250年を超える歴史を背負いながら、常に新しい織りを追求し続ける白根澤。古の技法を紐解き、今の時代に息を吹き込むその挑戦には、米沢という土地が育んできた美意識と工芸精神が確かに息づいている。
「この工房にしか織れない布がある。」
白根澤社長のその言葉どおり、白根澤の一反一反には米沢織の伝統を未来へと受け継いでいく確かな手仕事が宿っている。
