【着物|形染め】「大野國染工場」京都の名工が描く絶技で生み出す、唯一無二の着物
2026.08.12
鮫肌などの緻密な模様が特徴の江戸小紋。なかでも、伊勢形と呼ばれる伝統的な形紙を使用して染められたものが伊勢形小紋です。その技を60年以上に渡って京都で伊勢形を使った形染めを行ってきたのが、「京都の名工」の一人に数えられる大野信幸さんです。
家業である染師を志し、東京へ修行に出て以来、たゆまぬ研鑽を続けてきた大野さん。衆議院議長賞や経済産業大臣賞の受賞、さらには瑞宝単光章の叙勲など、その実績はまさに日本を代表する職人といえるでしょう。
和装界においても、数多くのファンから畏敬の念を集めています。
今回は、京都の工房を取材し、大野さんのチャーミングな人柄とそのモノづくりの真髄に迫ります。
Contents
ミスの許されない繊細な作業――伊勢形小紋の名工
穏やかで温かい人柄に触れる


京都、四条大宮駅のほど近くに工場があります。京都らしい奥へと細長い家屋を進むと中庭があり、工房があります。出迎えてくれたのは大野信幸さん。すらりと身長が高く「ご苦労さま。さぁ2階へ」と穏やかに声をかけてくれました。
「京の名工」に名を連ね、「数々の賞を受賞し、通商産業大臣などからも表彰された」など、大野さんの評判を知っていた取材班は、「どんな方なんだろう。大先生にお目にかかるなんて」と緊張していましたが、大野さんの垣根を作らない自然体の人柄にほっと一安心。

取材日に訪れたのは5月。すでに気温は30度近くまで上がっていました。
「工房はエアコン厳禁やから、この季節になると朝10時ぐらいまでしか作業できないね。最近の夏はもう朝から暑いし、6~8月は形染はできへん」
と笑いながら話す大野さん。案内された工房は、細長い板が奥にまで伸びていました。
「この板の上に白生地を貼り付けて、形紙で模様を付けていく。私は背が高いから専用に脚の高い板場を据えています。だから2階の作業場は私専用やね」
と教えてくれました。
和紙製の伝統的な形紙を使う伊勢形小紋

大野さんが行うモノづくりは、「伊勢形小紋」と呼ばれる伝統的な形染めです。
模様が彫り込められた和紙製の形紙「伊勢形紙」を用い、白生地に文様を写し取っていきます。白生地に形紙を当て、その上から均一に糊を付けると、模様の形に沿って糊が付着します。この状態で生地全体を染め上げると、糊が乗った部分には染料が入らず、白い模様が浮かび上がります。伊勢形紙は1枚が、横38cm、縦25~38cmほどの大きさ。横幅は着物生地の横幅である1尺に合わせられています。約13メートルにも及ぶ一反の生地に、繰り返し形紙を合わせて糊を付ける作業を行います。わずかに柄がズレたり、重なってしまえば、その時点で商品になりません。非常に緻密で、丹念な作業が求められるのです。
大野さんが1枚の形紙を取り出して見せてくれました。
「ほら、図柄のすぐ外側に、小さい丸い穴がひとつだけあるでしょ。これが『星』っていって、図柄の検討合わせに使う目印。この星に合わせて、形紙を置いて、ぬい針で固定する。だから形紙の外側にいっぱい開いてる針の穴は、それだけ私がこの形紙で仕事をしたという証しなんです」


形紙を眺めると確かに小さな星が見えます。そして無数のぬい針の跡。大野さんのキャリアの長さがこうした形紙一つからも伝わってきます。

「和紙はそのままだと硬いから、まず水をたっぷり含ませて柔らかくしてからの糊付けを行います。糊も固まってくるから、3回くらい使ったらまた洗って、という作業を1反つけ終わるまで繰り返します。こういう簡単な柄なら1日1反ぐらいできるけど、難しいのは3日ぐらいかかることもあるかな」
工程ひとつひとつが、気の遠くなるような手作業の積み重ね。しかし、見せてくれた形紙は、簡単そうには見えません。その技術と経験がある熟練の職人の世界に、圧倒されました。

気が付いたら60年――夢中で駆け抜けたモノづくりの道

大野さんは父、國治郎さんが始めた「大野國染工場」の跡を継ぐように言われることはなかったものの、18歳のころ、染師の仕事を始めることを決意します。
「いや、大学受験に失敗してね。やることもなく、このままフラフラするしかないなぁと思っていたら、学校の先生から『家業というしっかりとした地盤があるんだから、修業しなさい』と言われて、それもそうやなと」
そう振り返りながら、カラカラと笑う大野さん。

「当時は京都にいくつか形染をやってる工房があったんやけど、分業が進んでるから一つの工程しか自分のところではやらないわけ。せっかく修行するなら最初から最後まで形染の全部を学べるところがええなと思って、東京に修行に出たんです。そこで伊勢形小紋を作ってみて、すっかりハマってしまいました」
5年間の修業を経て、京都へ戻った大野さんは、才能をいかんなく発揮し、めきめきと頭角を現します。1977年、30歳の時に出展した「第1回全国青年伝統工芸展」では見事に大賞である通産大臣賞を受賞。その後に次々と受賞を重ねます。
「もともとあんまり長く続ける気はなかったんやけど、作れば作るほど面白くなってきてね。それで、賞なんかを取ると、テレビやなんかに呼ばれて、普段とは違う世界が見ることができて、また気分が乗ってきてね(笑)。そんな感じで60年以上になるなぁ」
圧倒的な腕前に息をのむ―
寸分の狂いもなく、糊付けを行う
お話を伺っていると「口で説明してもあんまり分からないし、1回実演してみましょう」思いがけず、実技を披露してもらえることに。

まず、板場に白生地をピタッと貼り付けるところから始まります。


「ここでしわが寄ると、きれいに形糊がつかないから慎重に。まずはピタッとさせたいから、ワイシャツなんかを伸ばす糊をサッと塗っていきます」
と糊を手早く塗り、布を均一に張らせていきます。
「これが、形染に使う糊。おもちとぬかと防染剤を混ぜて作った昔ながらのもの。もち粉、ぬか、塩を混ぜて蒸して、おもち状にする。冷えたもち糊に防染剤を混ぜて、群青を少し入れて完成。もち米が多いと粘りが出てこまが動かないので、スムーズにコマが動くように粘度に調整しています。今はもうないけど、おもちを使ってるから昔はネズミが夜中にこれを食べに来るの。形染はネズミとの戦いやったね」
あらかじめ洗い場でしっかりと水分を含ませた形紙を、生地の横幅にピタッと合わせると、なんでもないような手つきでサッサッと木製のコマを使って糊を付けていきます。






そしてさっと形紙を外す。


見事なまでに均一に柄が浮かび上がります。あまりに簡単にサラッと披露してくれましたが、力加減、手さばき、一つ一つの流れるような動きがこれを生み出しているのだと分かります。
「これをするとほら、形紙の柄の通りに生地に糊がついてるでしょ。次は、さっきの“星”を目印にして形紙を動かし、また糊を塗る。見当が0.1ミリでもずれたら、柄がズレてしまって失敗してしまう」

一度の糊付けで進めるのは、わずかに40センチほど。これを13メートルにわたって繰り返すとなるとそれだけで気が遠くなるような作業です。
誰にも真似できない逆鮫小紋――達人の腕さばきが光る
反転の発想による高難度の形染


大野さんの真価はこんなものではありません。大野さんの代表作は「逆鮫小紋」と呼ばれる柄。
「普通の小紋の柄というのは、糊を置いた部分には染料が入らへん。だから柄が白く浮き出てくる。でも、逆鮫小紋は逆。染料で色を付けた糊を使って、柄の部分だけを染める。普通の鮫小紋は白い点の柄だけど、逆鮫小紋は狙った部分だけに色が入る反転の発想やね。形紙の穴の部分だけに色が付くから、ちょっとでも形紙が生地に触れると色が付いちゃう。だから一発で正確に形紙を当てないとダメ。失敗する可能性が高いから他の誰もやらなくなってしまった」


正確無比な動きを可能にするのは、伊勢形染めに長年心血を注いできた経験があるからこそ。
1万点を超える形紙のコレクション――人間国宝の形紙も
工房にたくさん積まれている和紙は全て伊勢形。一体何枚あるのでしょう。

「数えたことはないけど、1万枚は超えるんやないかな。もともとコレクター気質なところがあって、ええなと思ったら、つい集めちゃった。伊勢形はその名の通り、三重の伊勢で形紙が作られていて、人間国宝に指定されている人が6人いらっしゃった。私もお付き合いがあって、全員の形紙を持ってますよ」
と楽しそうに話す大野さん。

「江戸時代の形紙もとってあります。350年から400年ぐらい前のもの。当時は男性の平均身長が140~150センチ程度だったから、着物の幅が今よりずっと狭い。今は生地幅38センチだけど江戸時代は30センチほどが普通。形幅も35センチ程度しかないけれど、今はもう彫れないような緻密な柄がたくさんあるのが魅力」
さらに、こういうのもあるよと見せてくれたのは、通常のものよりも横幅が広いタイプ。

「これは能装束用の形紙。舞台映えするように横幅が一尺を超える。大きい分、見当を合わせるのが難しい。形紙を彫れる人も、染められる人も随分少なくなってしまったけど、日本の大切な伝統文化やからね。この衣装もしっかり守っていかなあかん。身体が動くうちはずっと続けていきたい」
お客様の笑顔が見たい――モノづくりの原点にあるまなざし
自分が作りたいものを作る――還暦を超え新たな挑戦へ
現在、79歳の大野さん。60年以上にわたり第一線を走り続ける中で転機があったのは60歳を超えたころだったといいます。
「それまでは一職人として、言われたものをただ作るという感じ。年齢もあって、昔ほどたくさん作れなくなってきましたし、自分が本当に作りたいものを、お客様の顔を見ながら作る方が楽しいんじゃないかと考えて、直接お店に卸すようにしたんです」

そこから大野さんはさまざまな作品を送り出します。
「制作の合間に世界をいろいろと回ることもありました。そこで出会ったのはウズベキスタンなどの中央アジア色で使われる美しいブルー。これまで着物であまり使われてこなかったような鮮やかな色です。考えてみればシルクロードを通じて日本は遠くヨーロッパの端っこまでつながっていて、そこから影響を受けて文化を育ててきた。だから、自分の着物にもそうした海外の文化や配色を取り入れることが日本文化のルーツとつながるんじゃないかと思ったのです」

「サマルカンドブルーの染料を自分で作って、着物に取り入れました。これはすごく高く評価していただいて、『民藝百年』という作品で令和8年の衆議院議長賞を受賞することにつながりました。作りたいものを作って、お客さんに喜んでもらえるのはうれしい。お会いしたときに『この前作ってもらった着物がすごい気に入って、着る度に楽しい』と声を聞かせてくれたら、あぁ頑張ってよかったと心の底から思えます」


泣いて喜んでくれるお客様がいた――喜びと誇りを胸に現役を続ける
「数多くの着物を手掛けてきたけど、まだ一枚も中古市場に出てないんちゃうかな。お子さんやお孫さんにも受け継がれて、大切にしてもらっているということやと理解しています。中古に出回るようになったら、それは自分の価値がなくなってしまったということやから、その時は引退かなと考えています」
言葉の端々から伝わってくるのは、自分が作る作品への誇りと、何よりもお客様とのつながりを大切にする姿勢が伝わってきます。

「お客さんが喜んでくれるのがやっぱり一番うれしい。着たときにお客様が一番きれいに見えるように考えて作っています。私の作った着物を着て、ニコッと笑ってくれたら、それが一番。若い子なんか着物を見た瞬間に泣く女の子もいる。『こんなにきれいに作ってもらって…』って着てみて感動してる。それを見ると、自分はこんなにも喜びを与えてるのかなとうれしくなります」

60年以上にわらるキャリアの根底にあるのは、いつも「お客さんに喜んでもらいたい」という、その一心だったという大野さん。
磨きに磨かれた技術は唯一無二の作品を生み出し続けています。これからも大野さんにしか実現しえない独創的で美しい着物を手掛け続けていくのでしょう。
