【帯|京都・西陣織の名門】髙島織物 帯づくり百年の軌跡、つなぐ伝統と挑戦

2026.07.07

京都・西陣で100年以上にわたり、帯づくり一筋に歩み続けてきたのが老舗の「髙島織物」です。古典美の継承を礎としながら、時代の感性をしなやかに取り込み、“着る人を美しく彩る帯”を追求し続けてきました。数々の名品が生まれてきた背景には、変わらぬ信念と、時代とともに進化する柔軟な姿勢があります。
そして今、髙島織物が向き合うのは、伝統を守りながら未来へつないでいくという新たな局面。100年という時間を積み重ねてきたからこそ見える、西陣の帯づくりの本質と、これからの和装文化への思いに耳を傾けます。

西陣の町家から始まった、髙島織物の百年史

西陣地区の北側、静かな住宅街を歩いていると、ふと京都らしい風情をまとった町家が現れる。そこは髙島織物の京町家ギャラリー「百代織染館(はくたいしょくぜんかん)」。格子戸を開いて中へ進めば、京の空気をそのまま閉じ込めたような空間に、色彩豊かな帯と着物が端然と並び、訪れた人の目を引き込む。いずれも髙島織物が手がけてきた作品たちである。

髙島織物_営業部長の土谷敬三氏
髙島織物_営業部長の土谷敬三氏

案内役を務めてくれたのは、同社で四十年の歩みを持つ土谷部長。

「ここは西陣地区の北にあたります。西陣というのは、今出川通りより南などと地図で線引きされたものではなく、船岡山の歴史やその周辺の地名として続いてきた土地なんです」

西陣は、千年以上にわたり織物文化を育んできた京都の中でも特別な場所。その地で髙島織物が産声を上げたのは、1915年(大正4年)のことだった。

「創業者は髙島茂七で、実家兼工場という形から始まったようです。しかし創業後間もなく戦争で休業を余儀なくされました。再び動き出したのは戦後の昭和23年。茂七の娘である髙島シズ子が復興の舵を取り、そこから織物業として大きく広がっていきました。法人化は昭和33年ごろですね」

戦争という大きな時代の波を越え、家族の手によって再び息を吹き返した帯づくりの仕事。小さな町家から始まった挑戦は、100年以上にわたり代々受け継がれ、今日の髙島織物へとつながっている。

「締めやすさ」に宿る本物志向、帯づくりを支える匠の技

髙島織物の帯は、なぜ多くの着物愛好家から支持され続けているのか。その理由を土谷部長に問いてみた。

「私たちが最も大切にしているのは、本物志向であること。そのために妥協をしないのが、素材と色柄への徹底したこだわりです。帯はどのメーカーも長さや幅がほぼ統一されていますから、違いが出るのは“締め心地” “風合い” “実用性”。 つまり素材と織り方で、帯の価値は大きく変わります」

髙島織物_美しい帯が並ぶ
髙島織物_美しい帯が並ぶ

さらに、その「違い」を生むのが、長年受け継がれてきた織の技術だという

「同じ素材でも、手織りか力織機かで特徴がまったく変わりますし、縦糸の本数や横糸の入れ方ひとつで帯の柔らかさやハリ、扱いやすさは大きく変わってきます。例えば、縦糸の本数を増やせば密度が高くなり、しっかりとした締め心地になる。一方で、横糸の入れ方や力加減を調整することで、しなやかさを持たせることもできるんです。
さらに“織の組織”といって、糸をどの順番で組み合わせるかによって、同じ糸でも表情や光沢の出方が変わります。表面に見える柄だけではなく、その裏側でどのように糸が交差しているかが、帯の質感や締め心地を左右します。
私たちは職人の技と経験を生かしながら、そうした糸の組み合わせや織りの構造を何度も試し、最適なバランスを探っているんです」

帯づくりは、見た目の美しさだけを追うものではない。実際に身体に巻いたときのしなやかさや収まりといった“機能美”が、もう一つの価値を形づくる。

「どれだけ華やかな帯でも、締めた瞬間に扱いにくければ次に使っていただけません。だからこそ“締めたときの気持ちよさ”を何より大切にしています。当社の帯が評価されているのは、やはりこの締めやすさでしょう。着付けてもらう帯でも、自分で締める帯でも、どちらにも寄り添える素材選びを心がけています」

目に見えない部分にこそ、職人たちの技と配慮が宿る。艶やかな意匠や複雑な織の裏側には、帯を手にする人の所作や装いを思い浮かべながら“締めやすさ”を追求し続ける姿勢がある。

「400台から13台へ」西陣織が歩んだ40年と、髙島織物の現在

髙島織物で40年のキャリアを持つ土谷部長は、自ら歩んできた年月を振り返りながら「入ったころとは規模がまるで違う」と語る。

「私が入ったころは、西陣織物が本当に絶頂期でした。バブルもあって、とにかく勢いがあった。うちの工場だけで機が400台以上も動いていて、年間5万本の帯を織っていました。振袖帯といえば髙島、と言われたほどで、業界でもトップクラスの存在だったんです」

当時は各メーカーが技術を競い合い、柄の細かさも生地の豪華さも徹底して追求していた。

「とにかく原価を惜しまない。いい素材を使って、手間をかけて、凝った帯をつくる。フォーマルの需要が大きかったからこそ、どれだけ手間をかけても売れる時代でした」

髙島織物_柄の細かさも生地の豪華さも徹底して追求
髙島織物_柄の細かさも生地の豪華さも徹底して追求

フォーマル文化の終焉と市場の変化

しかしその状況は、2000年を超えた頃から大きく変わっていく。

「フォーマル帯が急激に減少したのは、2010年から2015年ごろです。その頃までは“安かったら売れる”という側面も残っていましたが、今では安くても売れない。フォーマル一点張りでは成り立たない時代になりました」

かつて主流だった“晴れの日のための帯”は、次第にその役割を変えていく。帯は特別な一日のものから、日常に寄り添う装いへと求められる方向を変えた。

縮小の中で見えてきたもの

現在、機は400台から13台へ、帯も年間5万本から1000本へ。数字だけ見れば劇的な縮小である。しかし、その変化を土谷部長は冷静に受け止めている。

「規模は小さくなりましたけど、そのぶん焦らずに続けていけるようになりました。在庫で頭を悩ませることも少ないですしね」

大量生産から、質を見極めるものづくりへ。そこには、時代に合わせた新しい歩み方が見えている。



もうひとつの深刻な課題が、職人の高齢化だ。

「40年前から一緒に働いている職人さんたちが、今も現役で頑張ってくれています。八十代が中心で、若くても七十代です。若い世代が継いでくれないと、この仕事は途絶えてしまう。だから今はいろんなメーカー同士が連絡を取り合って、互いに守り合い、なんとか火を絶やさないよう努力しています」


時代を動かした三つの帯。髙島織物が生んだ名品の軌跡

髙島織物が百年以上の歴史の中で生み出してきた帯の中でも、特に「時代をつくった」と語り継がれるものがある。
それが、青銅箔、全通帯、そして柄付けの革新によって生まれた帯。いずれも単なるヒット商品ではなく、帯のあり方そのものに新たな価値をもたらした存在である。

1|ローマングラスの輝きを帯に。「青銅箔」が起こした革新

髙島織物の歴史の中で、鮮烈な存在感を放ったヒット商品が「青銅箔(せいどうはく)」だ。誕生から40年以上経った今でも名前が語り継がれるほど、その人気は突出していたという。

髙島織物_青銅箔の帯
髙島織物_青銅箔の帯

土谷部長が当時を振り返る。

「青銅箔は、一世を風靡したブランドでした。飛ぶように売れた時代があるんです」

誕生のきっかけは意外にも、百貨店の外商から見せられた一つの“ガラス”だった。

「うちの創業者の娘である髙島シズ子が、ローマングラスを見たのが始まりです。ローマ帝国時代のガラス食器が土の中から発掘されて、その表面が宝石のような色に変化していた。あの美しい色を帯で表現したい、という思いから青銅箔が生まれました」

ガラスの透明感を箔加工で再現し、帯の中に織り込むという発想は当時としては革命的だった。発色の良さと煌めきは圧倒的で、青銅箔の帯は市場で大ヒット。髙島織物の名を全国に知らしめる原動力となった。
現在も新柄版が作られており、青銅箔はフォーマル帯の特別な一本として受け継がれている。

2|“背中まで美しい”を実現した全通帯の大ヒット

もうひとつの大きな転機となったのが、振袖用として開発した「全通帯」だ。

「全通帯が出始めたころは、まだ珍しかったんです。振袖は帯を二回巻くので、一周目は中に隠れます。そのため従来は“見える部分だけ柄が入った六通帯”が主流でした」

髙島織物_全通帯
髙島織物_全通帯

しかし時代が変わり、美容院での帯結びのバリエーションが増えた結果、柄が入っていない部分が背中に見えてしまう問題が生まれた。

「無地場が見えると格好がつかない。そこで、どこを見ても柄が入っている全通帯を作ったんです。これが大ヒットしました」

当時、成人式の振袖を結婚式で着る風潮が広がったことも追い風となった。

「背中で大きく華やかに結ぶ帯結びが流行りました。振袖でも“帯次第でドレス以上の華やかさになる”という認識が広まったのも全通帯の後押しですね」

全通帯は、機能性と美しさを兼ね備えた新しい振袖帯として、多くの女性に支持された。

3|振袖にも訪問着にも使える“二通りの美”。柄付けの革新が生んだヒット帯

そして三つ目が、柄付けの工夫によって生まれた帯の進化だ。

「以前の帯は、帯幅いっぱいに亀甲や七宝などの柄を大きく配置したものが主流でした。豪華ではあるけれど、どうしても“振袖専用”の印象が強かったんです」

そこで髙島織物が踏み込んだのは、柄を小さくし、使い方の幅を広げることだった。

「柄のスケールを少し抑えることで、訪問着にも合わせられる帯にしたんです。振袖にも訪問着にも使える——つまり“一本で二通りの装いが楽しめる帯”になるわけです」

髙島織物_振袖にも訪問着にも使える柄に
髙島織物_振袖にも訪問着にも使える柄に

振袖帯としての華やかさを保ちながら、訪問着にも自然に馴染むデザイン。この“転用できる帯”は多くの女性に支持され、髙島織物のヒット商品のひとつとなった。

「振袖にも訪問着にも使えるなら、より手に取りやすくなる。そうした使い勝手の良さも、選ばれた理由の一つだと思います」

華やかさと実用性。その両方を叶えた柄付けの工夫は、髙島織物ならではの審美眼と技術が生んだ新たな価値だった。

帯だけではなく、和装全体へ。百代織染館に託したこれからのかたち

髙島織物が新たな一歩として立ち上げたのが、京町家ギャラリー「百代織染館」だ。背景にあるのは、帯づくりを取り巻く環境の変化である。

「これまで帯を中心にやってきましたが、それだけでは今後は難しくなると感じています。帯は、着物があってこそ活きるもの。帯だけでは成り立たない時代に入っていると思います」

髙島織物_百代織染館
髙島織物_百代織染館
髙島織物_百代織染館
髙島織物_百代織染館

“百代”という名前には、“百代先まで続く”という願いが込められている。さらに「織」と「染」を並べたのは、帯にとどまらず和装全体へ視野を広げる意思の表れだ。

「織だけでなく、染めも含めて和装全体を見ていく必要がある。自社でできないものは無理をせず、他社さんとも協力しながら唯一無二の装いを形にしていく。その総合提案ができる場所として、百代織染館をつくりました」

百代織染館が誕生したのは、約二年前。ギャラリーとしての機能を持たせ、帯だけでなく着物も含めた提案ができる場としてスタートした。

「社長の提案で始まった取り組みですが、この2年で広がりを感じています。問屋さんや着物店さんに知っていただく機会も増えました。名前を付けて打ち出すことで、売り場で発表の機会をいただけるようにもなりました。いまはその積み重ねの段階ですね」

百代織染館は、単なるギャラリーではない。帯から広がる和装文化を、次の世代へとつないでいくための“発信拠点”として、その役割を担い始めている。

「特別」から「日常」へ。着物文化をつなぐためにできること

着物を取り巻く環境は、ここ数十年で大きく変化してきた。かつてに比べて、日常的に着る機会は確かに少なくなっている。しかし、土谷部長はその一方で、別の変化も感じているという。

「着物を着る機会は減っていると言われますが、実は“日常で着たい”という流れは少しずつ出てきていると思います。訪問着や留袖は特別な場で着るものですが、それとは別に、もっと気軽に着られる着物は、毎日の中で楽しめるはずなんです」

着物は今も、多くの人にとって“憧れ”の存在だ。節目の行事が、袖を通すきっかけになる。

「お宮参りや入学式など、何かのタイミングで着物を着たいと思う方は多いです。その“憧れ”を、特別な日だけでなく、日常にも少しずつ広げていけたらいいと思うんです。例えば、少しおしゃれをして外出する日。映画や食事に出かけるひととき。そんな場面で、自然に着物を選ぶ人が増えて、“普段のお出かけで着るのが当たり前”という感覚になっていけば嬉しいですね」

そのためには、作り手だけでなく、販売の現場や着る人自身の意識も重要だと続ける。

「お店の方も、着物を日常に取り入れるためにいろいろ工夫されていますし、私たちメーカーも、それを支えていく役割があると思っています」

髙島織物_美しい帯たち
髙島織物_美しい帯たち

帯づくりも同じだ。テレビやスマホの画面越しでは伝わりにくいからこそ、手に取る機会を大切にしている。

「髙島織物の帯は、締め心地と必要性を第一に考えています。最終的には、触れていただくことに尽きる。だからこそ、直接お会いして試していただく機会を大切にしています」

全国を回る販売の現場で、その手応えを感じる瞬間がある。

「次にお会いしたときに『あの帯が一番よかった』と言ってくださることがあるんです。それが本当に嬉しいですね。そこからまた次の帯をご提案できる。そうやって人とのつながりの中で広がっていくのが、この仕事の魅力だと思います」

一本の帯が、誰かの日常に寄り添い、また次の出会いへとつながっていく。髙島織物が見据えているのは、そんな“静かに続いていく文化”なのかもしれない。

京都で帯をつくり続けるということ

京都という地名は、着物や帯、西陣の記憶と強く結びついている。「本場でつくられている」という事実は、今も変わらず人の心を引きつける。

「京都イコール着物、帯というイメージは、やっぱり大きいと思います。それがあるからこそ、来てくださる方も多いですし、ブランドとしての力にもなっています」

一方で、伝統を守り続けていくことの難しさも感じているという。

「続けていくこと自体が、簡単な時代ではないですよね」

それでも、着物との距離が完全に離れてしまったわけではない。むしろ今は、“着たいと思ったときにすぐに着る”という形で、日常に近づきつつあると感じている。

「実際に着物を好んで日常に着る方が買っているという感覚はありますね。着物を見て、また着てみたいと思う方も多いですし、自分に合う一着に出会えたとき、その人の楽しみが広がっていきます」



そして、その一着との出会いをつなぐ現場にいることが、仕事のやりがいでもある。

「今は簡単に売れる時代ではありませんが、そのぶん、しっかりお話をして、相手に合う帯をお渡しする。人と向き合いながら手渡していく実感があります」

全国を巡る中で生まれる、顧客とのつながり。帯は、ただの装いの一部ではない。
人の記憶に残り、日常に寄り添い、やがて文化として受け継がれていくもの。

京都という土地で、その一端を担い続ける髙島織物の仕事は、いまも静かに次の時代へとつながっている。