【京友禅|京都・上野工房】京友禅と加賀友禅が出会った場所 京都・上野工房が紡ぐ120年の美の系譜
2026.09.14
京都で120年以上にわたり友禅染の伝統を守り続ける上野工房。創業は明治38年(1905年)、図案家としてスタートした工房は、時代の変化とともにデザインから染めまでを手がける一貫制作の工房へと発展してきました。現在工房を率いるのは、四代目・上野真(二代目 上野為二)さん。人間国宝であり、二代目の上野為二氏が築き上げた「京加賀友禅」の流れを受け継ぎながら、新たな表現にも挑戦し続けています。
華やかで雅な京友禅と、自然美を写実的に描く加賀友禅。その二つの魅力が響き合う上野工房のものづくりとは――。京都の工房を訪ね、その歴史とともに受け継がれる職人の想いに迫りました。
Contents
図案家として始まった工房、120年の歩み
創業から120年、図案制作に掛ける想い
京都市内の一角に建つ上野工房。案内してくれたのは上野工房の四代目、上野真さん。人間国宝だった祖父・上野為二さんの名前を襲名し、現在は二代目上野為二として活躍しています。案内されて階段を上ると、まず驚かされたのは壁という壁を埋め尽くすほどの本の量でした。染織資料、図案集、美術書がずらりと並んでいます。
「昔はね、利益が出たら本を買うてたんですよ。こういう本を眺めていると、ふといいアイデアが浮かんでくることがあるんです」
そう笑いながら話してくれました。本棚に並ぶ一冊一冊からは、そのモノづくりにかける執念はすぐに伝わってきます。

上野工房の歴史は、明治38年(1905年)に始まりました。創業者は上野さんの曾祖父・清江氏。当時の工房は、現在のように友禅染の工房ではありませんでした。

「上野家の仕事は、もともとは図案家なんです。創業当時は友禅師というよりも、着物のデザイナーでした。120年以上を経った今でも、その芯の部分は変わりません。着物で友禅の仕事というと、染めてるところを想像されるでしょう。でも私が1番時間をかけているのはそこじゃないんです」
そう言いながら見せてくれたのは、1枚の図案でした。
工房のデザインを受け継ぎ、昇華させていく

「本当に大変なのは準備や下調べなんですよ。まずは資料や美術書に目を通し、昔の図案を見返す。そこからイメージを膨らませて、ふと何かを思いついたらラフを描く。さらにコピーを取って、拡大したり縮小したりして、完成したときの姿を想像しながら何度も調整を繰り返す。着物は絵画とは違って、平面で完成するものちゃうからね。人が身にまとって初めて完成するもの。常にお客様の着ている姿を想像しながら、柄の配置や配色を考えていきます」

工房には大量の図案が保管されていました。その数は膨大で、新しい作品を考える際には、それらが創作の出発点になります。


「昔の図案をもとにアレンジするのが多いけど、単に真似をするわけではありません。例えば同じ花のモチーフでも、少し大きくしただけで華やかになる。逆に小さくすると上品に見える。色を変えればまったく別の作品に見えるんですよ」


図案づくりに使うのは、天板がガラスになった専用の文机。机の下から光を当てることで紙を透かし、拡大や縮小した過去の図案を何枚も重ねながら、新たな構図を組み立てていきます。花の配置を変える。枝ぶりをわずかに動かす。文様の大きさを調整する。そうした細かな工夫を何度も積み重ねながら、一枚の新しい図案へと仕上げていくのです。
一貫制作を支える職人への信頼

かつて着物は、一人ひとりの要望に応じて誂えるオーダーメードが主流でした。しかし、完成した着物の中から好みの一枚を選ぶ時代へと移り変わっていき、工房もまた変化を求められました。二代目の為二氏のころには、工房は図案制作だけでなく、下絵、糸目、染色まで手掛けるようになりました。現在の工房の大きな特徴である「一貫制作」が始まったのです。現在も工房専属の職人たちが、それぞれの場所で仕事を続けています。けれども、扱う仕事は上野工房の作品のみ。他社の仕事を掛け持ちすることはないと言います。

「長い年月の中で培われた、うちのやり方やデザインがあり、それを職人たち全員が共有してくれています。お願いするときも、配色など細かく指示は出していません。重要なところだけを伝えて、あとは皆さんの経験とセンスに任せています。何十年もうちの仕事だけを続けてくれる人ばかりだから、全幅の信頼をおいています」
何色も重ねて一枚の生地を仕上げる

工房では、実際に地染めの作業も見せていただきました。長く広げられた反物に、職人たちの手によって少しずつ色が重ねられていきます。二色で仕上げる作品もあれば、五色、十色と重ねる作品もあるそうです。色が増えるほど高度な技術が求められます。

「染料をそのまま白生地にのせると、色の浸透が早すぎてはけの跡が生地に残ってしまう。昔は大豆の絞り汁を染料に混ぜて水を使っていた。大豆に含まれる油分が、染料が生地にしみ込むスピードを落とす。そうすると何回も塗らないと色が入らなくなるけど、はけの筆跡が残らなくなるんです。今も染料を塗ったら、サッと水を掛けて、ゆっくりと色を入れていくんです」



職人たちが地染めの手作業を行っていました。長く張られた白生地の上に、はけを軽快に動かし、染料を手際よくのせていきます。サッ、サッという小気味よい音とともに、真っ白だった生地には新たに鮮やかな色が加わります。
「昔の職人さんは、一反が塗り終わると、染料が入っていたバケツを蹴っ飛ばして片づけていた。一反分ぴったりちょうどの染料しか用意しないから、塗り終わったらバケツが空っぽなの。だから蹴って片づけられる(笑)。それだけミスをしないという腕前の表れてでもあり、仕事への覚悟ですよね」

そして、上野さんは工程を見つめながら、静かに語りました。
「今は工房内で、これだけの作業スペースを確保して、一貫してできる工房がどれだけ残っているかな……。あんまり残っている工房がないからこそ、図案から染め上がりまで、すべての工程を自分たちの目で見届けたいですね」
京加賀友禅の誕生――上野為二が生み出した新たな作風
華やかながら力強い、上野家独自の京加賀友禅
上野工房の歴史を語るうえで、避けて通れない人物がいます。四代目・上野真さんの祖父であり、後に重要無形文化財保持者、人間国宝にも認定された名工の二代目・上野為二氏です。


「祖父は加賀友禅が好きやったんです。京友禅は公家文化の流れを受け、華やかさや装飾性を大切にして発展してきました。金彩や刺繍を施し、晴れの日を彩る豪華絢爛な美しさが特徴です。一方の加賀友禅は、自然へのまなざしがより強く表れます。草木や鳥を実物に忠実に描き出す写実性が魅力です。ぼかしも柔らかく溶け込ませるというより、輪郭を際立たせながら生命感を表現します」


祖父は、そんな加賀友禅の魅力に引かれ、古い生地や資料を集めて研究を続けました。京友禅の華やかさ。加賀友禅の写実性。二つの美意識を1枚の着物の中で融合させることができないか。京友禅らしさを残しながら、加賀友禅の魅力をどう取り入れるのか。その答えを探し続けた結果、生まれたのが現在「京加賀友禅」と呼ばれる上野工房独自の作風でした。華やかでありながら派手すぎない。繊細だけれど弱々しくない。上品だけれど存在感を放つ。その絶妙なバランスは、多くの着物ファンを魅了してきたのです。


「発表した時は、かなりセンセーショナルやったみたいですよ。京都と加賀を融合させるなんてそれまで誰もやってこなかった。加賀友禅では少し力強すぎる。でも京友禅だけでは少し物足りない。そういう方に好まれているんじゃないかなと思います」
相次ぐ祖父・父の夭折――20歳で工房を継ぐ
大学在学中に家業を継ぐ決意固める
残念ながら、京加賀友禅を生み出した二代目・上野為二氏は結核を患い、闘病の末に60代前半でこの世を去りました。その後、工房を継いだ父である三代目・上野忠夫氏も46歳という若さで急逝します。当時、上野真さんはまだ20歳の大学生でした。工房には多くの職人がおり、取引先を抱えていました。しかし当時の上野さんは、友禅の仕事や経営について十分な知識があったわけではなく、突然大きな決断を迫られることになります。

「母から『できたら続けてほしい。継ぐのであれば、私が職人たちに息子に力を貸してほしいとお願いする』と言われました。母の言葉に背中を押され、工房を継ぐ決意を固めたんです」


「お金がどう動いているのかも分からへんかった。得意先との付き合い方も、着物業界の商習慣も、職人さんへの指示の出し方も分からない。だから最初は、とにかく周囲に教わるしかありませんでした。職人さんと一緒に得意先へ行って、横に座って話を聞く。仕事がどのように進むのかを見る。一つひとつ覚えていきました」
上野さんは大学に通いながら家業を学び、卒業後は3年間別の工房での修業を経て、25歳で上野工房へ戻りました。実際に仕事を始めてみると、自身でも意外な発見があったと振り返ります。
「案外、この仕事に向いてたんですよ。もう45年やってますけど、この仕事が嫌になったことは1回もないですね」
上野さんはきっぱりと言います。
祖父の名前を継ぐという決意――二代目為二としての想い
20代で家業を継いだ上野さん、バブル期の真っ盛りで迎えた30代。数多くの注文に向き合いながら経験を重ね、自分の表現を磨き続けます。そして2003年、人間国宝である祖父・為二さんの名を襲名し、二代目・上野為二として歩みを始めました。祖父の名を継ぐことは大きな責任でしたが、その決意を支えたのは年齢だったといいます。

「ちょうど46歳になったんです。父が亡くなった年齢です。その時に初めて分かりました。父はこんな若さで亡くなったのか。まだまだこれからで、やりたいこともたくさんあったのではないか。自分が同じ年齢になって初めて、その重みを実感しました。親父の分まで頑張らなあかんと思いました。父が生きていれば、必ず祖父の名を継いだでしょう。だから祖父と父、二人の職人人生を背負うつもりで、『為二』の名前を継ぐことを決意したんです」

「襲名したとしても、やることは変わりません。自分たちの仕事を自分たちで評価することはないですから。それはあくまで問屋さんであり、お客様がすること。私たちは、これまでやってきたことを実直に続けていくだけ」
為二さんの名を継ぎ、二代目上野為二として、祖父と父が残した京加賀友禅をより現代的にアレンジし、発展させ続けているのです。
着物はクラシックカー、だから面白い
着る人がほれぼれする――そんな着物を創りたい


「着物って、クラシックカーみたいなもんなんですよ。クラシックカーは、よう故障するし、手間も掛かる。でも好きな人は好きでしょう。着物も同じです。着るのに手間が掛かる。片付けるのも手間が掛かる。でも好きな人は好きなんですよ。便利さだけを求めるなら、洋服の方がずっと楽です。手入れも簡単で、すぐに着られます。それでも着物を選ぶ人がいる。今は好きな人の文化になったんやと思います」

長年、友禅の世界を見続けてきた上野さんだからこその実感がありました。

「うちの着物を着た人がね、自分で着姿を見て、ほれぼれしてくれたり、人から褒められたりするのが一番うれしいですね。どんなに高度な技術を使っても、着る人が喜ばなければ意味がない。その考え方は、図案を描くときも、色を決めるときも変わりません。うちの着物は比較的、年齢層が高い方に向けた作品が多いんやけど、最近は皆さん若々しく美しいでしょう。昔と比べると配色も若返ってきたなと思いますね」
70代、自分のやりたいことに全力で挑戦したい
現在、上野さんは69歳。間もなく古希を迎えます。

「これからは自分のやりたいものも作ってみたいんです。正直、いつまで筆を持てるかもわからんからね。これまでの人生は、問屋さんやお客様の要望に応えながら歩んできました。でも、まだ試していない表現が残っていると感じています。新しい色や構図かもしれない。こんなんもできるんか、とお客様に驚いてもらえるような作品を作りたいですね」
そう言って、上野さんはと少年のようにニカっと笑顔を見せてくれました。

「これまでの仕事に100点満点はまだないですね。45年以上仕事を続けてきても、まだ満足はしていない。だから次の図案を描く。だから新しい色を試したくなる」

120年以上の歴史を受け継ぐ上野工房。守られてきた歴史であると同時に、挑戦し続けてきた歴史でもあります。四代目の新たな一枚を生み出そうとするその情熱が、上野工房の次の歴史を描いていくのです。
